ラグビー愛とノーサイド精神の国歌斉唱~ラグビーワールドカップ開幕戦で平原綾香さん

これも、ご縁である。ラグビーに出会い、ラグビー精神を尊ぶシンガーソングライターの平原綾香さんが、ラグビーワールドカップ(RWC)日本大会の開幕戦、日本代表対ロシア代表の前に日本国歌斉唱を歌うことになった。

 

 これも、ご縁である。ラグビーに出会い、ラグビー精神を尊ぶシンガーソングライターの平原綾香さんが、ラグビーワールドカップ(RWC)日本大会の開幕戦、日本代表対ロシア代表の前に日本国歌斉唱を歌うことになった。「驚きました」と戸惑いながらも、チャーミングな顔をほころばす。

 

 「ラグビーとのご縁がずっとありましたが、こんな大役を務めさせていただくのは、大変、光栄だと思います」

 

 日本で初めて開催されるRWCである。東京スタジアムは満員の約5万人の観客が、テレビを通しては世界で数億人の人が国歌斉唱を聞くことになるだろう。圧倒的な歌唱力は定評のあるところ。

 

 「しっかり歌うことは当然として、一番は選手の人たちが試合前に聞いて、気合が入る国歌が歌えるかどうかが大事だと思っています」と言葉に力を込めた。

 

 

 3日、日本青年館7階のRWC組織委員会の応接間。大会公式マスコットの赤白の「レンジ―」に挟まれてのインタビューだった。「ラグビーって、ファンの人たちも選手と一緒に走っているんですよね。汗だくになって」と平原さんは両手を激しく前後に動かした。肩にかかるくらいのストレートヘアが揺れる。

 

 「やっぱり、ファンの人たちにもエールを送れるような国歌も大事じゃないかな。もちろん、ラグビーワールドカップですから、日本だけでなく、ロシアや各国の方もいらっしゃると思うのです。だから、ラグビーを愛する人たちを応援する気持ちも歌に込めたいですね」

 

 つまりは、平原さんが大切にしているノーサイドの精神か。ベストを尽くし戦い終えた瞬間、敵味方の区別がなくなり、ひとつの人間愛に包まれていく。それがもっとも崇高なラグビーの精神なのだった。

 

――ラグビー精神のこと、お詳しいですね。ラグビーとのご縁はいつからですか。

「今から10年前の2009年、ラグビーワールドカップの実話を基にした映画『インビクタス/負けざる者たち』の試写会に行ったのです。当時の日本ラグビー協会の森(喜朗)会長にご招待いただきました。モーガン・フリーマンさんとマット・デイモンさんが主演で、クリント・イーストウッド監督が描いた人間ドラマです」

 

――舞台は南アフリカで開催されたRWC1995でした。その前の年から、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃したネルソン・マンデラ大統領が白人と黒人の和解と団結の象徴として南アフリカ代表の“スプリングボクス”を置いたのです。そのチームが初優勝しました。

「そうです。私はその映画を見て、感動して、泣いたのです。映画館でもう、号泣でした」

 

――どんなところに感動を。

「一番は、監督の言葉ですね。“自分の運命は自分で決めていくものだ”とか、“人生の指揮官は自分である”とか。“ほんとうに強い者の行為というのは人を許すことだ”って。その言葉が今でも印象に残っています」

 

――たしか、映画のエンディングにラグビーワールドカップの大会テーマソング『ワールド・イン・ユニオン』が流れていました。これは作曲家ホルストの作った『木星』と同じ旋律で、また平原さんの名曲『Jupiter(ジュピター)』とも同じメロディーでした。

「そうです。アーっと思いました。(『木星』と同じ旋律が)ラグビーで使われていたんだって。しかも、Everyday~♪って一緒だし、ラグビーとのつながりを感じました。この映画を観て、本物のラグビーをもっと観てみたいという気持ちが強まったのです」

 

 

――“Jupiter(ジュピター)”はいつから歌い出したのですか。

「(洗足学園音楽)大学1年生のクラシックの授業で、ホルストの木星を聞いた時、涙が出てきて…。あっ、これだ、って。ずっと探していた、懐かしい気持ちになったのです。ちょうどデビュー曲をどうしようか決めかねていたので、授業が終わった後、すぐプロデューサーに電話をかけて、このホルストの木星をカバーできないかお願いしたのです。その頃は、9・11(米国同時多発テロ事件=2001年)があった2年後で世界中が混乱して、日本も不安定でした。またテレビ『ザ・ノンフィクション「短い命を刻む少女~アシュリーの生き方」』という番組の中の“生まれ変わっても私に生まれたい、私は私であることが好きだから”の言葉からも影響を受けて、Jupiter(ジュピター)になったのです」

 

――2003年に発売されたデビュー曲『Jupiter(ジュピター)』は大ヒットしました。平原さんはどのフレーズが好きですか。

「自分が一番好きなところは、出だしですね。“Everyday~♪”と“ひとりじゃない~♪”というところです」

 

――この“ひとりじゃない”って、ラグビーのチームと同じですよね。

「そうですか。うれしいですね。ワールド・イン・ユニオンとJupiter(ジュピター)が同じ原曲だからか、ラグビーの選手たちも私を応援してくださる人がいるのです。空港などで、すっごく大きな、こわそうな人たちが集団でこられて、“ウワッ、危ない”って思ったこともあります。でも、“平原さ~ん”って応援してくださって。その時、思いました。Jupiter(ジュピター)をカバーさせてもらってよかったなって」

 

――たぶん、そのラグビー選手はフォワードだったのでしょう。そもそもラグビーを初めて観たのはいつなんでしょうか。

「実は秩父宮ラグビー場での日本代表対イタリア代表戦でした。2006年(6月11日)です。試合前に国歌独唱を、ハーフタイムでJupiter(ジュピター)を歌わせていただきました。雨が降っていて。その直後、人生で初めての武道館でした。雨で風邪をひかないか、スタッフがハラハラしていたのを覚えています。人生初の国歌独唱だったんですが、不思議なほど、緊張しなかったですね」

 

――へえ~。どうしてですか。

「国歌独唱は自分ひとりで歌うものだと思っていました。でも、ファンのみなさんも大きな声で歌ってくれたのです。選手のみなさんも歌ってくれて。リハーサルはひとりでも、本番ではひとりじゃない。すごく奮い立ったのです。実は国歌を歌う時にはハーモニカを持って舞台に立っているんです。これくらい(両手の親指と人差し指で四角形をつくる)のサイズで、白色で紺色のシールが貼ってあって、自分が吹くキーのところにはコブタちゃんのシールがはってあります。それを歌う前にプ~と吹くと心が落ち着きます」

 

――からだの前で重ねた両手の下にはハーモニカが隠されているんですか。出だしのキーを吹いてみるんですね。

「はい。国歌をどんな音域で歌うのか、実は悩んでいたんですね。私らしいキーってなんだろうと探している時、ファンの方も歌ってくださるのなら、男性も女性も歌えるキーにしようって、低いキーに決めたんです。私にとってのこだわりは、男性も女性も歌いやすいキーで歌うということです」

 

――そのイタリア代表戦の時、ラグビーも観戦されたのですね。

「そうなんです。森(喜朗)さん(当時の日本ラグビーフットボール協会(JRFU)会長)が丁寧に教えてくれました。その時、ラグビーのルールを全然知らなくて、“ボールを前に投げればいいんじゃないでしょうか”と言ったら、“いやいや、ラグビーは後ろに投げないといけないのだ”って。スクラムを組む時はボコンと音がして。“何の音ですか”と聞いたら、“プロップの肩と肩がぶつかる音だ”って言われました。びっくりしました。その後、スクラムのうしろでちょこちょこやっている人がいて。なぜか胸がキュンとしました。“どうぞ”の精神じゃないですが、ボールを後ろに投げるのもびっくりしたし、このラグビーボールがどこに転がっていくのかわからない予測不能なところにもカッコいいと思ったのです。ラグビーのオモシロさに引き込まれたんです」

 

 

――その後、ラグビーの試合で歌を歌うことが増えました。2014年5月25日に旧国立競技場の最後のスポーツの試合、ラグビーの日本代表対香港代表でも日本国歌を独唱しました。試合後には『Jupiter(ジュピター)』も歌いましたよね。

「覚えています。うれしかったです。やっぱり、国歌を歌う喜びというのは、みんなで歌える喜びだと実感したのです」

 

――被災地の岩手県釜石市にも何度か行かれました。昨年8月19日の釜石鵜住居復興スタジアムのオープニングイベントでは、『Jupiter(ジュピター)』を歌いました。

「あのスタジアムは周りがキレイな山々と海なんです。試合する選手は気持ちいいだろうなと思いました。特に空がキレイでした。空の写真を撮って、自分のコンサートグッズとして釜石の空付きの扇子をつくったんです。英文で“新しい夜明け、令和“と書いてあります」

 

――加えて、釜石東中学校の生徒と「いつかこの海を越えて」の合唱をされました。この中学は津波で流され、その跡地にスタジアムが建設されたのですよね。

「中学生と一緒に歌うのは喜びでした。ただ、自分の命をかけて、子どもたちを守った女性の新聞の記事を読んで、涙が出てきて…」

 

――でも、平原さんの歌は釜石の人々に元気を与えたと思いますよ。

「そうですか。ありがとうございます。ホルストの木星というメロディー自体がやはり、なにか人の心を震わすパワーがあるんだと思います。心の奥にあるさみしさや苦しさを慰めてくれるメロディーだったんじゃないでしょうか。みんなが共存して生きていること。それは日本などの国の枠を超えて、地球を超えて、宇宙を超えて、みんなの心を打つメロディーになるんじゃないでしょうか」

 

 

 こげ茶色のテーブルの上にはピンク色のサクラの花びらが描かれたカラフルなラグビーボールがあった。平原さんは唐突にボールをさわり、「こんな不安定そうなボール、どこを蹴ればいいんですか」とつぶやいた。

 

 やってみたいポジションを聞けば、ボールを蹴るスタンドオフかフルバックと言った。「難しそうだから、絶対できることはないけど、もしラグビーやるなら、蹴りたいなあ」。RWC2015で活躍した五郎丸歩選手の“お祈りポーズ”をつくり、「精神統一して、五郎丸さんみたいに」といたずらっぽく言った。

 

 好きな言葉が「練習は裏切らない」。サックスプレーヤーの父からもらった言葉だ。だから、子どもの頃にやっていたクラシックバレエも水泳もとことん練習してきた。歌もデビュー時から、緊張がとれるまで練習する。「なんでも一生懸命やってしまうタイプです。時々、そんな自分がイヤです」と笑う。

 

 さてRWCがやってくる。日本代表は「ベスト8以上」を目標に掲げている。でも、平原さんは声のトーンを上げた。「優勝です。優勝。優勝してほしい」と。

 

 「一番は選手みんなが力を出し切れるような大会になってほしい。世界中からたくさんの人たちがこられるので、私たちはおもてなしの精神を持つことが大事かなと思います。そして釜石鵜住居復興スタジアムが輝くときでもあります。ラグビーワールドカップがいろんな人の復興につながると思うと感慨深いですね」

 

 

 最後は、ラグビーのフレーズ、『ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン(一人はみんなのため、みんなは一人のため)』で。後段の「オール・フォア・ワン」の「ワン」をあえて他の言葉に置き替えるとすれば、と問えば、平原さんはしばし考え、明るく言い放った。

 

 「ポッと浮かんだ言葉は“愛”です。ラグビーワールドカップを楽しまなきゃ。楽しいと思うのは愛があるからだと思うし、愛があるから楽しいのです。ラブです。そうだ。ラグビーをもじって、“ラブ・ビー”ってどうです」

 

 なるほど。オール・フォア・ラブか。 さあ、ラグビー愛に満ち溢れた国歌斉唱で、ラグビーワールドカップの、幕が上がる。

 

(インタビュー・松瀬学)

(撮影・築田純)